ピアノ講師
坂井 薫
はじめまして!
2021年春、高浜市に家を建て、ピアノ教室を新規開催することになりました、坂井薫です。
かおる先生と呼んでください!!
私は年中さんからピアノを始めました。
練習すればするほど色々な曲が弾けるようになる楽しさに目覚め、ピアノが大好きでした。
小学生の頃から感受性が強かったように思います。
よく犬の散歩に行っていましたが、その時のことをよく覚えています。
夏休みも終わりに差し掛かった夕暮れのヒグラシの声と空の色。
11月頃、冷たくなってきた風と犬の糞から出る湯気に ”あぁ、もう秋なんだな” と夕日を見ながら、なぜかもの悲しくなってきて涙が出そうに。。
冬は雪の降る、キンと張った空気が好きでした。
そして一番好きな春。寒かった冬を耐え、木々がどんどん成長し生き生きと生命力が溢れるとき。
そんな四季の移り変わりにいちいち感動していた小学生・・・
今思うとどんな小学生やねん!と突っ込みたくなりますが(笑)
今でも喜怒哀楽が激しく、特に哀楽が激しいようで我が子に呆れられています。
中学校ではバスケットボール部に所属し、まぁそれはそれはしごかれました。
当時バスケ部に入ることをピアノの先生に伝えると、「とんんでもない!突き指したらどうするの?」と怒られましたが、先生の先生が「僕もバレー部だったよ。下手だったら突き指するかもしれないけど、うまくなれば突き指なんてしないよー。はははー」と笑い飛ばしてくださり、三年間ピアノもやりつつバスケットボールにも精を出しました。
結果突き指は1度もなかったし、逆に指が強くなったのではないかなと思っています(バスケの練習はキツく、今でも走らされている夢を見るのは何とかならないですかね・・お陰で並大抵のことでは諦めない強い気持ちを持てましたが)。
高校受験の時はこれまたピアノの先生に音楽系の高校を強く勧められましたが、その時点で自分が本当にピアノの道に進みたいのか確信が持てず、他にやりたいことができるかもしれないと考え、進学校に進みました。
勉強とピアノを両方学びながら三年間過ごし、やはり私はピアノが一番好きだという結論に至り洗足学園ピアノ科に進むことにしました。
大学にはポーランド人の先生が客員教授として年に1度程度いらっしゃると聞き、ショパンが生まれた国でもあるポーランドとはどのような国なのか調べるうちに、ポーランドに留学したい!と言う思いが湧いてきました。
最初は何もプランはありませんでしたが、とにかく練習を積み重ね、一方でいつチャンスが訪れてもいいようにポーランド語の勉強も始めました。
ショパンコンクールを観る趣旨の研修旅行に参加し、実際にポーランド(やその周辺国)を訪れ、空気や雰囲気を感じ、更にポーランドへの憧れを強くしました。
大学でポーランド人の教授からレッスンを受ける機会に恵まれ、ポーランドの古都クラクフにある音楽大学に通う許可をいただき、遂にポーランドに留学するという夢を叶えることができました。
叶った夢をより意義のあるものとする為、練習を頑張り、一方でポーランド人の友人も作り、異文化に触れ、様々な経験もしました(ポーランド人の彼氏もできちゃいました。てへ。因みにそれが夫です)。
一旦帰国し実家でピアノ教室を開催しましたが、結婚するにあたり、夫がポーランドで就職したので私がポーランドに移住することになりました。
ピアノ教室を辞めることになるのですが、その時に生徒さんやお母様方から様々な嬉しい言葉をかけて頂きました。
特に印象に残っているのが
「楽譜も読めなかったし、忙しいので不安もあったけれど、先生と一緒に練習するのがとても楽しくて、本当に始めてよかったなと思いました。これからも続けようと思います」
とおっしゃったのは50代でピアノを始めた男性。
「子育てがうまくできていないのではないかと落ち込んでいたのですが、先生がいつも息子の良いところを伝えてくださり、気持ちが楽になりました。息子も教室に来るのが楽しみで大好きだったので先生がいなくなると聞いて二人で泣きました」
と言う小学生のお母様の声は嬉しくもあり、申し訳なくもあり・・・
他にもたくさんの方から嬉しい言葉を頂きました。
当時はピアノを教え始めたばかりで、信念と呼べるほど大それたこともなく、とにかく思うように(本能のまま!?)日々レッスンを行っていたのですが、みなさんからの言葉を頂いたときに、私はピアノだけを教えていた訳ではなかったんだな・・と思い、子どもたちの成長に少しでも関わることができてとても幸せだと感じました。
ポーランドでは現地に赴任していた日本人家族にピアノを教え始め、そこから韓国人やフィンランド人など様々な人に教える機会が持てました。
子どもを産み、育てる中で子どもの発達や言動をより身近に感じることができ、それまでは子どもが ”好き” でしたが、子どもを産んでからは全ての子どもが愛おしく、大切な存在になりました。
結婚して10年、ポーランドで暮らしましたが、やっぱり日本が恋しかったです。
あんなに憧れていた国であるにも関わらず・・・
せっかく仲良くなった日本人の子どもたちも、海外赴任の期間が過ぎれば日本に帰ってしまいます。
私だけが取り残されたような気持ちになったこともありました。
私はこのままポーランドに骨を埋めるのかなぁ・・・なんて考えたり。
そんな時、夫の日本への海外赴任が決まりました。
子どもに日本の小学校を体験させてあげられる絶好の機会でしたので、2年間という短い期間ではありましたが、喜び勇んで愛知県刈谷市に住み始めました。
任期の終わりに差し掛かった頃、1年の延長、その期間も終わろうとする頃、夫が日本側で必要とされる人材だったのか、正式に日本で働くこととなり、その後無事永住権も降り、今こうして高浜市に家を建て、ピアノ教室を開催する運びとなりました。
何かを成し得たい時、そこまで大層でなくても何かしたいなぁと漠然と思った時、あれこれ考えるよりも先に、今できることを真摯に誠実に積み重ねていけば、必ず誰かが見ていてくれて力を貸したくれたり、好気が訪れ、良い方向に進むと身を持って感じています。
留学のことだけでなく、こうして日本でピアノ教室を開催することができるようになったことも、10年前の私には夢のまた夢の話。到底無理だと思っていました。
それでもその時々で精一杯のことを積み重ね、たくさんの方に支えられ、ありがたいことにこうしてここにいられています。
縁あってここ高浜市に居を構え、新しくピアノ教室を開催できることに感謝し、ピアノを通して子どもさんたちの成長に携わり音楽の楽しさを分かち合える存在でありたいと願っています。